-第13話 「しるし、めでたき松・竹・梅」-

2012年4月

「松竹梅」といえば慶事・吉兆の象徴。
松と竹は冬でも緑を残して彩りを添え、梅の花は優しい香りとともに春の到来を伝えてくれます。
中国では「歳寒三友(さいかんのさんゆう)」といわれ、文人画で好まれた画題です。
今回は、しるしめでたきこれら「松」「竹」「梅」の校章をご紹介しましょう。

「箱崎の 松は久しき しるしなりけり」

 図1 九州大学

図1 九州大学

九州大学のシンボルロゴは松の葉をモチーフにしています(図1)
同大学ホームページによれば、昭和24(1949)年に学生バッチの図案公募が行われ、153点の応募の中から採用されたそうです。
九州大学の箱崎(はこざき)キャンパスは、明治44(1911)年に創設された九州帝国大学の工科大学が設置されたところ。
大学創設当時のそこは海岸線がすぐ間近。海岸に沿って松原が続き、白砂青松の景勝地でした。
海岸線の埋め立てが進んだとはいえ、新制九州大学として再出発した昭和24(1949)年頃も、あたり一辺に松林は健在。学生にとって松林や松並木は九州大学とつながる光景だったのでしょう。
シンボルマーク応募作の多くも松に関わる作品だったそうです。
そもそも箱崎の地は、松の木と古いゆかりのある場所です。
日本三大八幡宮に数えられる筥崎宮(はこざきぐう)は九大箱崎キャンパスのほど近く。
その楼門のそばに朱の玉垣で囲まれた松の木があります。
これが「筥松(はこまつ)」、または「しるしの松」と呼ばれる神木です。
応神天皇がお生まれになった時の「御胞衣(おえな)」を箱(筥)に入れてこの地に納め、そのしるしとして松の木が植えられたという言い伝えがあります。
箱崎の地名は、まさにこの「筥」に由来します。
鎌倉時代初期の続新古今和歌集にも「千早振る 神代に植えし箱崎の 松は久しきしるしなりけり(法印行清)」と歌われています。
新制九州大学の象徴として生まれた松葉のマーク。
過去と現在をつなぎ、将来に広がっていく九州大学の「久しきしるしなりけり」です。

「竹の葉 三篠 悠久に」

 図2 旧制広島高等学校

図2 旧制広島高等学校

真っ直ぐにすくすく伸びるというイメージから、竹は小学校や中学校の校章デザインに多く採用されています。
「竹」のつく地名が各地に多いことも理由の一つでしょう。
ところが大学に関して言えば「竹」をデザインした校章が見あたりません。
ようやく見つけたのが、官立の旧制広島高等学校校章です(図2)
同校は、官立高等学校としては遅い大正12(1923)年の創設です。しかしその分、旧制高校の代名詞である「バンカラ」とは少し違った「洗練」された校風を持ち、生徒さんも学究的紳士的だったとか。
その旧制広高の校章は、三枚の竹の葉に「高」の文字を配しています。
竹の葉三枚は、広島市内中心部を形成するデルタ(三角州)を流れる7本の川のうちの主流3本にあやかったものだそうです。
竹の意匠には強い「成長」の力と、節目をもって真っ直ぐ伸びるという「節操」も込められています。
三枚の竹の葉は、広島県を貫く「三篠(みささ)川」にちなむという説もあるようです。
篠(ささ)とは笹竹のこと。同校の代表的寮歌「銀燭揺らぐ」には「三篠(みささ)のデルタ 悠久の 若き男の子に光りあり」と歌われています。
同校は、戦後学制改革によって新制広島大学の構成に加わりました。
旧制広島高等学校があった場所は、現在、広島大学附属中学校・高等学校になっており、その正門脇に「旧制広島高等学校之跡地」の石碑が立っています。構内には旧制広島高等学校創立40周年を記念した同校寮歌の碑が設置され、そこに竹の葉三篠の校章レリーフも刻まれています。
旧制広高の講堂は現在も使用され、附属学校の正門正面に見ることができます。
この講堂は被爆建造物として国の登録有形文化財になっており、広島市による原爆被害案内板が正門脇に設置されています。
路面電車の「広大附属学校前」停車場からすぐ近くです。

「梅の花木は学びの象徴」

梅は「好文木(こうぶんぼく)」とも呼ばれます。
中国の晋の武帝が学問にいそしめば梅の花が咲き、怠ると花は開かなかったという故事に由来します。
日本でも菅原道真公の存在から、梅と学問には強い結びつきがあります。
平安時代前期の文人であり政治家であった管公は、その有能さゆえに時の権力者・藤原氏一門から疎んじられ、謀略によって京の都から太宰府に左遷されます。
京を去る失意の中で、邸宅で大切にしていた梅のことを詠んだ歌が、かの有名な「東風吹かば にほひをこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな(拾遺和歌集)」です。
その梅の木の一本が管公を慕い、はるばる京の都から太宰府まで飛んでいったというのが「飛び梅伝説」。菅公を祭神とする天満宮(天神社)は「学問の神様」としても信仰され、境内には梅が植えられ、神紋にも「梅鉢紋」が使用されています。

「花言葉は「忍耐」と「厳しい美しさ」」

図3 東京医科歯科大学

図3 東京医科歯科大学

梅に関わるこうした故事から、校章に梅花を採用する学校が多くあります。
著名な天満宮(天神社)をもつ地域の学校では、梅をデザインした校章が特に多くみられます。
ここでは東京医科歯科大学のシンボルマークをご紹介しましょう(図3)
同大学のホームページでは、このマークをこう説明しています。

1. 東京医科歯科大学の発展の歴史と、その将来へのあるべき姿を、本学の所在地、湯島にちなんで、湯島天神 -学問の神- の象徴である梅の花になぞらえて図案化したものです。
2. 花の芯に当たる中央の輪は、旧東京高等歯科医学校の校章であり、これを基盤として現在の本学があることを示しています。
3. 五枚の花弁は、医学部、歯学部、教養部、生体材料工学研究所、難治疾患研究所の五部局を表し、それらが、がっちりとスクラムを組んで花を咲かせているという本学の姿を表現しています。
4. 五枚の花弁は、将来に向かって無限に躍進するという意図を表すために花弁の外側を肉厚にし、これによって躍動的な感覚を盛り込んでいます。

さらにホームページでは、「梅の花言葉は『忍耐』、『厳しい美しさ』であり、医療人として、使命をつらぬく勁(つよ)さを梅に託している」という記載もありました。
大学のミッションとして「知と癒しの匠を創造する」ことを掲げる東京医科歯科大学。
厳しい試練を経て成就する最先端の研究・教育と、その成果を人々への癒しとして届ける様は、梅の姿と重なります。
JR御茶ノ水駅の改札を出て右側(北)を見れば、同大学病院の建物。
その壁面に大きな梅花のシンボルマークをみることができます。

「大学とゆかりの深き茗渓界隈」

御茶ノ水駅南側の駿河台地区は大学街として有名ですが、東京医科歯科大学のあるお茶の水神田川北側(文京区湯島1丁目)界隈も近代日本の大学史と深く関わる場所です。
JR御茶ノ水駅のホームに立てば、神田川の向こう正面一帯に立派な築地塀の湯島聖堂が見えます。
その西隣は東京医科歯科大学、さらにその西隣が順天堂大学です。
江戸時代、この一画は幕府の最高教学機関だった昌平坂学問所(昌平黌)の構内でした。
明治維新後、昌平坂学問所は新政府が所管し、やがて大学校・大学と改称され、明治4年(1871)にこれを廃してこの地に文部省が置かれました。さらに翌明治5(1872)年になると日本で最初の学校制度を定めた教育法令である「学制」にもとづいて東京師範学校が、そして明治7(1874)年には東京女子師範学校が設置されました。
東京師範学校の系譜をくむ筑波大学の同窓会は、この地にちなんで「茗渓(めいけい)会」といいます。
「茗」はお茶、「渓」は谷のこと。江戸時代、湯島と神田駿河台の神田川を挟んだ両岸一帯は渓谷のごとき景勝地であり「茗渓」とも呼ばれていました。
東京女子師範学校についていえば、昭和7(1932)年、現在の東京都文京区大塚に移転します。
それにもかかわらず、昭和24(1949)年に新制大学となった際、校名を「お茶の水女子大学」として歴史的由緒を継承します。

「筑紫野に 梅花ぞ匂う」

図4 旧制福岡高等学校

図4 旧制福岡高等学校

さてさて、話を梅と校章に戻しましょう。
管公ゆかりの「飛び梅」といえば福岡県の太宰府天満宮(太宰府市)。
その福岡県にあった官立旧制高校が1921年(大正10年)に設置の福岡高等学校(福岡市)です。
全国の旧制高等学校のうち6校しかなかったフランス語を第一外国語として選択するクラス(文科丙類)を設置し、大都市の高等学校らしくハイカラな気風もあって、多くの文化人を輩出しました。
同校の校章は、フクオカにちなんで片仮名の「フ」の字を「九つ」集め、それを組み合わせて正義の剣を形成します。福岡は元寇襲来の地。その圧倒的脅威に立ち向かった日本武士の剣を象徴したとも言われます。そしてその中心に太宰府天満宮の「梅」と「高」の文字を配置しています(図4)
剣と梅花は、文武両道にしていずれにも偏らず大目的に邁進するという教えをふくむそうです。
ところで「フの字九つ」のマークは福岡市の市章(明治42年制定)でもあります。
この市章は市内のあちこちで見ることができます。身近なところでは、マンホールの蓋をご覧ください。
旧制福岡高等学校があったのは、大濠(おおほり)公園に近い六本松地区(福岡市中央区)。
旧制福岡高校は、戦後の学制改革によって新制九州大学の一翼を担うことになり、六本松の福高所在地には九州大学教養部が置かれました。
九州大学では、現在、伊都(いと)キャンパスへの統合移転が進んでおり、すでに六本松キャンパスの移転は終了しました。
様々な青春群像の輝きがこの地にあったことを記憶に留めたいものです。

さて次回は「百合の花」にちなむ校章をご紹介しましょう。